【悲報】杉内俊哉、引退。~最終回~
こんばんは!
熱熱熱男です。
よく分からない時間の投稿です。。。笑
西武との三連戦の感想等は次の記事で書きます!!!!
切り替えて頑張りましょう!!!
今回は、今季で引退する杉内投手の野球人生を振り返るシリーズ企画の最終回です。
[杉内俊哉の野球人生]
3 巨人時代←今日ココ
2011年オフ FA宣言で巨人入団
2011年、鬼門のクライマックスシリーズを突破し、悲願の日本一を達成したホークス。
その中心には間違いなく、シーズン防御率1点台、クライマックスシリーズでは涌井との死闘、日本シリーズでも2試合通じて1点に抑える快投を見せた、杉内がいました。
エース杉内の存在無くして、ホークスが連覇を目指すことは考えられませんでした。
FA権を取得していた杉内ですが、結果的にホークスファンにとっては、最悪な結果になりました。。。
当時の記事です。
ホークスファンとしてはあまり振り返りたくないですね。。。
当時の球団フロントの某取締役に、2010年シーズンオフ、「FA宣言しても獲得する球団はない」という言葉を言われ、そのわだかまり、不信感がどうしても杉内本人の中でぬぐえなかったということです。
これに関しては、ホークス球団側に非があるとしか言いようがないのではないかと思います。プロ野球選手も、球団に契約してもらっているという関係である前に、感情を持った一人の人間。二度とこのような選手が出てほしくないと思います
この年、ホークスは同じ松坂世代で長く左の両輪を担ってきた和田毅のメジャー挑戦、最多勝のホールトンも同じく巨人移籍と、ホークス先発陣は大打撃。杉内のFAは本当に致命的でした。
杉内が移籍せずにホークスのままだったら。。。とか未だに、考えてしまいますね笑
杉内は巨人で桑田真澄の退団以来空き番号だった栄光の背番号18をもらい、破格の好待遇で巨人に入団します。
2012年 巨人初年
巨人に入団して初年の2012年は、杉内の巨人での一番のハイライトになります。
移籍後初先発のヤクルト戦で移籍後初勝利を挙げると、順調に勝ち星を伸ばします。
この試合が、個人的杉内Best試合第2位です!
この日の相手先発は田中将大。翌年シーズン24勝0敗という信じられないようなモンスター記録を達成しますね。
この二人の投げ合いは当然のごとく緊迫した投手戦になり、八回まで田中は現巨人監督、高橋由伸の三号ツーラン一発の2点に抑えるも、何と杉内は一人の走者も許さないパーフェクト投球。
異様な雰囲気の中九回のマウンドへ。
二人を打ち取り、ついにあと一人で完全試合達成という場面で、楽天は9番田中に代打中島を送ります。(この時マー君が打席に立ってもおもしろかったですね。。笑)
その打席は杉内の名シーンの一つになっています。
中島はファールで粘りフルカウントから四球を選び、残念ながら完全試合ならず。。
しかし次打者を打ち取り、見事ノーヒットノーラン達成!!
杉内は鹿児島実業時代の高3の夏にノーヒットノーランを達成していますが、甲子園とプロの両方でのノーヒットノーラン達成は史上初だったそうです!すごい!
そしてこの試合の試合時間はなんと2時間1分。。笑どれだけハイレベルな投手戦だったかが分かります。
現ヤンキースの田中将大も杉内の引退についてツイートしています。
この試合の翌日、杉内さんとお話する機会がありましたが、その時に嬉しい言葉を掛けてくださった事は今でも良い思い出です。
— 田中将大/MASAHIRO TANAKA (@t_masahiro18) September 12, 2018
現役生活お疲れ様でした。https://t.co/jxnToheyM2
実は、この試合私はテレビで観戦していたのですが、巨人で活躍する杉内をみて少し複雑な感情でした。。。笑
杉内はこの年十二勝を挙げ最多奪三振と最高勝率のタイトルを獲得し「巨人の背番号18」の責任を果たします。
2013,2014シーズンも二桁勝利、2013年にはWBC侍ジャパンに唯一3年連続で選出されるという快挙も達成しました。
2015年 ケガとの闘いの始まり
巨人での活躍は順調でしたが、2015年に一変します。
5月までに5勝を挙げますが、股関節痛で7月23日に登録抹消。
この登録抹消がまさかの杉内俊哉の一軍での最後の姿となりました。
杉内の発症した股関節痛はリハビリに1年を要すると言われていましたが、その後も左肩痛など様々なコンディション不良が相次ぎ実戦から遠ざかります。
2016年、2017年通じて2016年の三軍戦での1試合の登板に終わり、
ついに今シーズン引退を表明しました。
杉内は毎年鹿児島の薩摩川内市で自主トレを行っており、この引退のニュースを聞いたときに、一度杉内がケガから復帰しようとする姿を目に焼き付けておけば良かったという後悔がよぎりました。
「きっと、引退されるほとんどの選手が自分はもっとできたんじゃないかとか、けがさえなければとか、そういう気持ちで、後悔の念がこみ上げてくるんじゃないかと思う。僕もその1人です。」
引退会見でのこの一文は、特に心に刺さりました。
様々な人が杉内にコメントしていますが、ここではダイエー・ソフトバンク時代の監督
ソフトバンク王会長のコメントを紹介します。
今後杉内投手がどのような人生を歩むのかは分かりませんが、個人的にはホークスで投手コーチとして戻ってきてほしいです。先ほど書いた、球団との関係がありますが、それがいちホークスファンとしての率直な気持ちです。大竹、笠谷、古谷、田浦、長谷川、、、などの生きのいい左投手たちを大投手に育て上げてもらいたいです!!
今回を持ちまして杉内投手のシリーズは終了になります。
最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございました!!
これからも、ブログ初心者ながら頑張って投稿していきます!!
【悲報】杉内俊哉、引退。~第3回~
おはようございます!
熱熱熱男です。
昨日の天王山は、西武に完敗してしまいました。。。(^^;)
エース千賀でついた負けですから、仕方ないですね!
気持ちを切り替えて、今日から2連勝しましょう!頼んだぞ大竹!
さて、今日は先日引退を表明した元ホークスのエース杉内投手の企画の第3回目です。
前回はホークスでの2009年シーズンまでを振り返りましたので、今回はホークスでの最後の2シーズンを振り返っていきましょう。
2010年シーズン~大逆転優勝
この年、開幕投手を務めた杉内は四月中になんと六勝を挙げる活躍をします。
チームは、西武、ロッテと激しい上位争いを繰り広げます。
この年のハイライトは残り6試合を残して2位、首位西武と3.5ゲーム差で迎えた直接対決三連戦。ここでホークスは見事3連勝をして、大逆転優勝に望みをつなげます!
杉内は第一戦に先発しますが、初回に片岡に被弾して先制を許すなどし、6回4失点で降板。。。チームは小久保のサヨナラ弾で劇的勝利を果たしました。
杉内に勝ち負けはつかずという結果でした。
この時の西武先発は涌井。
この二人が、翌年さらなるドラマを作るとは、この時誰も知りません!!
エース格の杉内からすると、これは当然物足りない結果といえますね。。
その杉内にリベンジのチャンスが訪れます。
ついにホークスのマジック2で迎えた札幌ドームでの日本ハム戦。
逆転優勝へはもちろん落とせない大事な一戦です。
この時、ホークスに立ちはだかる相手の先発は、全盛期バチバチのダルビッシュ有!!
この年のダルビッシュの防御率は1.78。。。つまり、数字上は杉内が2点取られると勝負は決まると言っても過言ではない状況です。
この試合で杉内は一世一代のピッチングを見せます。
ホークス打線は、やはりダルビッシュから1点に抑えられますが、杉内はそれを上回る完封!!見事マジックを1にし優勝に王手をかけました。
試合後のヒーローインタビューでの涙は非常に印象的でした。
杉内引退って聞いて真っ先に思い出したのが2010年シーズン最終盤、ダルビッシュとの投げ合いを制してホークスの優勝マジックが1になった試合のインタビューで男泣きしてたシーン。
— k a z u m a (@kazutan_1220) September 11, 2018
松坂世代最強の左腕。本当にお疲れ様でした。#sbhawks #杉内俊哉 pic.twitter.com/M03TdGJm9W
この試合は、個人的杉内Best試合ランキング第三位です!笑
この試合をはじめとして杉内と何度も死闘を繰り広げたダルビッシュも今回の引退について、自身のブログで語っています。
杉内へのリスペクトを感じる素晴らしい内容ですね。
そして、このままホークスはソフトバンクになってから初のリーグ優勝!
杉内も2年連続の最優秀投手に輝きました。
迎えたロッテとのクライマックスシリーズ。
杉内は第一戦と最終戦の二度先発しますが、2戦とも負け投手になってしまいホークスはシーズン三位のロッテにまさかの敗退。
この話はまたこれだけで記事にできるので、また取り上げます!
杉内はまたもポストシーズンで悔しさを残してシーズンを終えることに。。。
2011年~ポストシーズンでの涌井との死闘~
2011年のシーズンは、杉内は自身初のシーズン防御率1点台となる1.94を記録するも、打線の援護に恵まれず8勝に終わります。
こうして記事を書いていると、本当に杉内は運という面には恵まれていない選手だったのだと気づかされました。
ホークスはこの年2年連続のリーグ優勝を果たします!!
そして迎えた、大の鬼門のクライマックスシリーズで西武と対戦します。
ホークスは見事2連勝で日本シリーズ進出へ王手をかけた第三戦。
ここで前年のクライマックスで2敗を喫した、杉内が満を持して先発。
相手の先発もエースの涌井。
この試合が、個人的杉内Bestゲーム第一位です!!
この試合はテレビ番組でも後に特集を組まれるほどの名勝負になりました。
4:40~
杉内、涌井両投手とも九回を零封という絵に描いたような投手戦。
十回表に先制を許して杉内はここで降板し涙を流すも、打線がその裏に涌井をとらえ見事サヨナラ勝利!!!
ホークスは2004年から続くポストシーズンの悪夢をようやく断ち切り、日本シリーズに進出しました。
前年の天王山初戦で共に4失点し降板した二人の意地の投げ合いは、奇しくも十回にお互い127球目に打たれるというドラマのような結末となりました。
勝った杉内も負けた涌井も涙をしていたシーンは本当に感動しました。
この勢いのまま、ホークスは中日との日本シリーズを制して日本一に!
杉内も第二戦を八回1失点、第七戦を七回無失点に抑えるエースの投球で優秀選手に輝きました。
この2年間は本当にドラマチックな出来事ばかりで、杉内を語るには欠かせない部分になりました。
この日本一を達成し、来年もホークスのエースとして引っ張っていくと信じていた矢先に驚きのニュースが。。。。。。
次回、最終回に続きます!!笑
【悲報】杉内俊哉、引退。~第2回~
おはようございます!
熱熱熱男です。
いよいよ今日から三ゲーム差で首位西武との直接対決3連戦です!
今年の一番の天王山です!3連勝を信じて熱い声援を送りましょう(^^)
今日は、先日引退を表明した杉内俊哉のシリーズ企画第二弾です。
[杉内俊哉の野球人生]
ダイエー・ソフトバンク時代
鹿児島実業時代には甲子園でノーヒットノーラン、三菱重工長崎時代には日本選手権で優勝と、輝かしい実績を重ね、2001年ドラフト会議で地元球団の福岡ダイエーから3位指名を受けダイエーに入団します。
二年目の2003年に初の二桁勝利を挙げると、球団名が福岡ソフトバンクホークスに変わった四年目の2005年には、同じく20代だった斉藤和巳、同じく松坂世代の和田毅、新垣渚と共に先発4本柱を形成し、シーズン一位に大きく貢献しました。
2005年成績
斉藤和巳
22試合 16勝1敗 防御率2.92 投球回157 奪三振129
杉内俊哉
26試合 18勝4敗 防御率2.11 投球回196.2 奪三振218
和田 毅
25試合 12勝8敗 防御率3.27 投球回181.2 奪三振167
新垣 渚
22試合 10勝6敗 防御率4.61 136.2 奪三振130
この年の杉内は最多勝、最優秀防御率に輝き、見事パシフィック・リーグ左腕初の沢村賞を獲得し、名実ともに日本球界を代表する投手になった年になりました。
しかし、このほぼ同年代の先発4本柱で計56勝。。。
ここまで圧倒的な先発投手陣をそろえたチームは、長いプロ野球の歴史を振り返ってもほとんどないのではないかと思います。
(今日からの西武三連戦に斉藤、杉内、和田をぶつけたいですね。。笑)
この頃のホークスについてはいくらでも記事が書けそうですのでこれからもばんばん書いていきます笑
この2005年の大活躍の前年には、自身の乱調に感情の乱れを抑えきれずに降板後にベンチを拳で強打し、骨折によって長期離脱という大粗相を犯しています。
2回七失点で降板し、ベンチを拳で殴る杉内
この件の影響もあり2勝に終わった杉内は、翌年、見事素晴らしい結果で雪辱を果たす形になりました。
このベンチの殴打の件に関しては、様々な意見があると思いますが、自分は杉内にここまでの強い気持ちが無かったら、翌年の沢村賞を含めその後の活躍は無かったのでは無いかと思います。
2007 15勝 6敗
2006 7勝 5敗
2005 18勝 4敗
2004 2勝 3敗
2003 10勝 8敗
2002 2勝 2敗
↑この頃の杉内は活躍した次の年に振るわないことから”隔年エース”と呼ばれ、斉藤和巳と言う絶対的エースがいたことから、チーム内ではエースと呼ばれる存在ではありませんでした。
自分が思うに、杉内がホークスの「エース」と呼ばれる存在になったのは、2009年シーズンだと思います。
2009年シーズンはシーズン前に開催された第2回ワールドベースボールクラシック日本代表に選出。普段とは違う中継ぎで登板するも、5試合を無失点に抑え、2連覇を果たした日本の「陰のMVP」と呼ばれる活躍をしまし
シーズンでも、史上4番目のスピードでの通算1000奪三振、交流戦MVP、左腕初の5試合連続二桁奪三振を達成するなどし、シーズン15勝を挙げ最多奪三振、最優秀投手(最高勝率)のタイトルを獲得。
しかし、シーズン三位で迎えた楽天とのCSファーストステージで3回七失点でKO。
ホークス永遠の鬼門ポストシーズンで結果を残せませんでした。
個人的には、この試合の炎上が残りホークスでの後の2シーズンに大きな影響を与えてるように思います。
ということで、思いの外ボリュームが出てしまいましたので、ホークス編を2回に分けて投稿します!
ホークス編後編に続く。。。
【悲報】杉内俊哉、引退
おはようございます!
熱熱熱熱男です。
ペナントレース最終盤、我らがホークスは奇跡の逆転優勝が現実味を帯びてきまして、いよいよ明日からの西武戦に臨みます。
そんな中、先日の早朝に、ホークスファンの元にある一つのニュースが飛び込んできました。。
杉内俊哉、引退
引退の前日、364日ぶりに二軍で復帰登板をしたというニュースを見たので、これはとても驚きました。。。
ダイエー、ソフトバンク時代には斉藤和巳・和田毅・新垣渚とともに先発4本柱として活躍した、プロ通算142勝の言わずと知れた松坂世代の最強左腕ですね。
ホークスファンの中でもかなり思い入れの強い選手の一人です。
今日から3回に分けて、杉内俊哉投手の野球人生を振り返ってみましょう。
[杉内俊哉の野球人生]
アマチュア時代~鹿児島実業高校・三菱重工長崎時代~
福岡県大野城市出身の杉内は、中学時代に市の硬式チーム、大野城ガッツのエースとしてチームを全国準優勝に導いた後、鹿児島の名門鹿児島実業に進学。
エースとして、2年夏、3年夏の2回甲子園に出場しています。
特に、3年夏の鹿児島県大会決勝、巨人、日本ハムなどで後に活躍する川内高校・木佐貫洋との投げ合いは、鹿児島の高校野球Bestバウトとも言われる名勝負として、語り草となっています。
(1998年第80回鹿児島県大会決勝) 鹿児島実業3-1川内
杉内さん、引退かぁ。
— 榎下陽大 (@enoshita_yodai) September 13, 2018
僕が小学4年の時に、夏の鹿児島県大会決勝を鴨池球場に見に行きました。
川内高校vs鹿児島実業。
木佐貫さんと杉内さんの投げ合い。
恐らく、あの決勝戦以前も以降も、あの試合を越える試合は、鹿児島ではないんじゃないかなぁ。
鹿児島県大会の歴代No.1ゲームだと思います。
この試合で、秋の県大会で敗れた木佐貫投手にリベンジを果たした杉内は、2年連続の甲子園出場を果たします。
そして、甲子園1回戦八戸工大一戦で鹿児島県勢初のノーヒットノーランを達成
まさに、名門鹿実の中においても屈指の名投手ですね!
しかし、この世代は史上稀に見る超豊作。
杉内を上回る、圧倒的な投手がいました。
そう、その投手の名が松坂大輔。
鹿児島実業0-6横浜
この年に春夏連覇を果たす横浜高校に敗れた杉内と松坂のライバル関係は、ここから始まります!!
先日の引退会見でも「原動力は松坂大輔だった」と語っているように、この試合、この敗戦が杉内の野球人生のターニングポイントであったことは間違いないでしょう。
甲子園を沸かせた杉内の加入により、チームの知名度は一気に上がり、社会人野球日本選手権優勝まで果たしました。
先にプロ入りした松坂等の同級生も多数おり、社会人時代のプロ入りへの意識はかなり強かったとのことです。
社会人時代の杉内
社会人の3年間を経て、2001年のドラフト会議で地元福岡の福岡ダイエーホークスに三位指名を受けプロ入りします。
初投稿。
はじめまして!熱熱熱男です!
鹿児島鷹党。今年で福岡ソフトバンクホークスファン歴十三年目になります。
月1ペースで、ヤフオクドームに現地参戦しております!(なお、今季現地は5勝6敗と負け越し中。。。)
野球経験は小中の5年間のみですが、ホークス・プロ野球の魅力に取り憑かれてからというもの、野球は私の生活に無くてはならないもの、生きがいの一つと言っても過言ではありません。
そんな私の「ホークス・プロ野球」への愛を思う存分このブログにぶつけていきたいと思っている所存であります。
(毎日の試合について・現地観戦記録・プロ野球ニュース・過去のプロ野球のあれこれ・高校野球・私のプレイする野球ゲームについてetc…)
野球好きなら絶対に楽しんでいただける投稿を目指していきますので、
皆さんよろしくお願いします!!