熱熱熱男のホークス応援日記

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【悲報】杉内俊哉、引退。~第2回~

おはようございます!

熱熱熱男です。

いよいよ今日から三ゲーム差で首位西武との直接対決3連戦です!

今年の一番の天王山です!3連勝を信じて熱い声援を送りましょう(^^)

 

今日は、先日引退を表明した杉内俊哉のシリーズ企画第二弾です。

 

[杉内俊哉の野球人生]

  1. マチュア時代~鹿児島実業三菱重工長崎時代~
  2. ダイエーソフトバンク時代←今日ココ
  3. 巨人時代

ダイエーソフトバンク時代

 鹿児島実業時代には甲子園でノーヒットノーラン三菱重工長崎時代には日本選手権で優勝と、輝かしい実績を重ね、2001年ドラフト会議で地元球団の福岡ダイエーから3位指名を受けダイエーに入団します。

 

二年目の2003年に初の二桁勝利を挙げると、球団名が福岡ソフトバンクホークスに変わった四年目の2005年には、同じく20代だった斉藤和巳、同じく松坂世代和田毅新垣渚と共に先発4本柱を形成し、シーズン一位に大きく貢献しました。

 

2005年成績

斉藤和巳
22試合 16勝1敗 防御率2.92 投球回157 奪三振129
杉内俊哉
26試合 18勝4敗 防御率2.11 投球回196.2 奪三振218

和田 毅
25試合 12勝8敗 防御率3.27 投球回181.2 奪三振167

新垣 渚
22試合 10勝6敗 防御率4.61 136.2 奪三振130

 

この年の杉内は最多勝最優秀防御率に輝き、見事パシフィック・リーグ左腕初の沢村賞を獲得し、名実ともに日本球界を代表する投手になった年になりました。

しかし、このほぼ同年代の先発4本柱で計56勝。。。

ここまで圧倒的な先発投手陣をそろえたチームは、長いプロ野球の歴史を振り返ってもほとんどないのではないかと思います。

(今日からの西武三連戦に斉藤、杉内、和田をぶつけたいですね。。笑)

 

この頃のホークスについてはいくらでも記事が書けそうですのでこれからもばんばん書いていきます笑

 

この2005年の大活躍の前年には、自身の乱調に感情の乱れを抑えきれずに降板後にベンチを拳で強打し、骨折によって長期離脱という大粗相を犯しています。

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2回七失点で降板し、ベンチを拳で殴る杉内

 

この件の影響もあり2勝に終わった杉内は、翌年、見事素晴らしい結果で雪辱を果たす形になりました。

このベンチの殴打の件に関しては、様々な意見があると思いますが、自分は杉内にここまでの強い気持ちが無かったら、翌年の沢村賞を含めその後の活躍は無かったのでは無いかと思います。

2007 15勝 6敗 

2006 7勝 5敗
2005 18勝 4敗
2004 2勝 3敗
2003 10勝 8敗

2002 2勝 2敗

↑この頃の杉内は活躍した次の年に振るわないことから”隔年エース”と呼ばれ、斉藤和巳と言う絶対的エースがいたことから、チーム内ではエースと呼ばれる存在ではありませんでした。

 

自分が思うに、杉内がホークスの「エース」と呼ばれる存在になったのは、2009年シーズンだと思います。

2009年シーズンはシーズン前に開催された第2回ワールドベースボールクラシック日本代表に選出。普段とは違う中継ぎで登板するも、5試合を無失点に抑え、2連覇を果たした日本の「陰のMVP」と呼ばれる活躍をしまし

 

 

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第2回WBC侍ジャパンに選出された杉内

シーズンでも、史上4番目のスピードでの通算1000奪三振交流戦MVP、左腕初の5試合連続二桁奪三振を達成するなどし、シーズン15勝を挙げ最多奪三振、最優秀投手(最高勝率)のタイトルを獲得。

しかし、シーズン三位で迎えた楽天とのCSファーストステージで3回七失点でKO。

ホークス永遠の鬼門ポストシーズンで結果を残せませんでした。

 

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個人的には、この試合の炎上が残りホークスでの後の2シーズンに大きな影響を与えてるように思います。

 

ということで、思いの外ボリュームが出てしまいましたので、ホークス編を2回に分けて投稿します!

ホークス編後編に続く。。。